鈴木徳昭(すずきとくあき)が、
石原良純の同級生として、【あいつ今何してる?】に出演されます。
鈴木徳昭って誰だろう?と思っていたら1993年のドーハの悲劇の時に監督を務めたハンス・オフト監督の通訳をしていた人物でした。
なぜオフトジャパンの通訳として抜擢されたんでしょうか?
通訳としてのみならず、すばらしい経歴でしたよ!
サッカー部で石原良純と同級生だった鈴木徳昭の実力は誰もが認めるほどだったとか!
今現在もサッカーに関わる仕事をされていましたよ!
日本のサッカー界で働く鈴木徳昭の家族もまたサッカーに携わっているようです!!
サッカー協会やオリンピック招致委員会の年収はどれくらいなんでしょうか?
ついでに通訳の給料も調べてみました。
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目次
鈴木徳昭(すずきとくあき)のプロフ・経歴は?
画像:https://www.google.co.jp
名前:鈴木徳昭(すずき・とくあき)
生年月日:1961年12月3日 (2018年現在57歳)
最終学歴:慶應大学
石原良純は慶應幼稚舎~大学出身ですが、鈴木徳昭が幼稚舎からの出身かはわかりませんでした。
慶應大学を卒業後は日産自動車に(一般入社)入社されています。
約10年間日産自動車のサッカー部の運営強化を担当していました。
2008年までは日本サッカー協会にて日本チームに携わります。
そこで、オフトジャパンの通訳になります。
有名な「ドーハの悲劇」を一員として経験しているんですね。
日本サッカー協会から、国際サッカー連盟(FIFA)に出向して2002年の日韓ワールドカップ開催にも関わっています。
2006年からは、アジアサッカー連盟に出向しています。
鈴木徳昭(すずきとくあき)の家族(親・兄弟・妻・子供)は?
鈴木徳昭はサッカー一族なんだそうですよ。
父親もサッカー選手として活躍していたことがあるそうです。
兄?弟も現在サッカー協会で働いているという情報も。
石原良純に「日本にもプロサッカーリーグが出来る!」と40年以上前に豪語していたということですが、もしかしたら父親の情報からその発言をしていた可能性もありますね!
妻・子供の情報はありませんでしたが、普通に結婚されていると思います。
もしかしたら子供もサッカーを頑張っているかもしれませんね!
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鈴木徳昭(すずきとくあき)がオフト監督の通訳になった理由
通訳が仕事でもなかった鈴木徳昭がオフト監督という日本を背負う監督の通訳になったのはなぜなんでしょう?
もちろんサッカー経験がないと伝えるのは言葉だけじゃないのでむずかしいとは思いますが、鈴木徳昭はそんなに優秀だったんでしょうか?
1982年、TV解説者を務めていた川淵三郎(当時、日本サッカー協会強化委員長)が、ヤマハの試合の変化に驚き、調べた所オフトの指導と判明。「日本人監督では限界がある」と分析。
1991年9月オランダにてオフトと会談。
幹部会に提出した所、言葉の壁や、サッカースタイルの違いに反対されるも「時代も変化しており鈴木徳昭という優秀な通訳もいるし、全責任を受け持つ」と食い下がり、これによりハンス・オフト日本サッカー代表監督として承認される。
引用:Wikipedia
のちに、日本代表でオフト監督と何度も衝突したラモス瑠偉も「日本を強くしたおは間違いなくオフト」と答えています。
選手とコーチの関係もよく、言葉の壁を越えていたんでしょう。
オフトを支える【コフト】と呼ばれていたんですって。
そんなオフト監督起用にも、鈴木徳昭が重要なポイントになったわけですからすごいですよね!
でも、そのサッカー協会から認められた語学力が、
実は独学だというから驚きです!!!
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鈴木徳昭(すずきとくあき)の今現在の仕事は?
鈴木徳昭の現在の仕事は何をされているんでしょうか?
鈴木徳昭といえば東京オリンピックの招致委員会の戦略広報部長としても活動されていました!
ハンス・オフト監督の通訳を務めていた時には、メディアとの付き合い方を学んだといいます。
味方につけたほうが運営側としても選手にとっても絶対有利ですもんね。
そういう経験があって戦略広報部長という役職についていたんでしょう。
無事に東京オリンピック招致は成功して、その後、広報戦略部長の役は降りています。
そして今現在は、日本サッカー協会の職員として働いています。
2020年の東京オリンピックでサッカーの日本代表が活躍できるように日々頑張っているんでしょうね。
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鈴木徳昭(すずきとくあき)の年収は?
少し気になって調べてみた年収ですが、マーケティング部で10年ほど働いた人の転職サイトでの口コミでは年収600万円だということでした。
意外ともらってるな!という印象でしたが、鈴木徳昭の場合は経験や役職などからもっともらっている可能性が高いです。
せめて800万~1000万はあるんではないでしょうか!
ちなみに、代表監督の通訳の年収は平均で400万~ということでかなり普通でした。
それも成績次第かと思いますが、長期の合宿や移動、休日の少なさなど結構な重労働だと思うのでもう少し高くてもいいのにって感じですね。
最後に
石原良純の同級生で、当時から抜群なサッカー選手だったという元オフト日本代表監督の通訳も務めた鈴木徳昭について、あれこれ調べてみました!
そのサッカー界に尽力した経歴はすばらしいものですし、東京五輪の招致にも戦略広報部長としてオリンピック招致成功の立役者になりました。
鈴木徳昭はサッカー一家に生まれ、幼少期からサッカーに打ち込みました。
そして、運営として長い間日本サッカーの強化に尽力されています。
協会の年収は、一般職員で10年勤務で年収600万という情報から、800万から1000万ぐらいではないかと想像します。
鈴木徳昭も昔、日本代表監督の通訳していましたが、通訳の給料の少なさには驚きでした。
成績によっても変動するような気がしますが、年収400万円~だといいます。
2020年オリンピックやワールドカップやJリーグなど、注目されるサッカー界には欠かせない人物さということですね!
最近流行り?の協会と選手とのトラブルなどの話はまだ聞こえてきませんが、いい関係でやっていってほしいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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