闘莉王の祖母・田中照子のブラジル波乱の移住人生で涙!苦労や家族への想いは?(こんなところに日本人)




世界の村で発見!こんなところに日本人

「サッカー元日本代表DFの祖母90歳に出会う。「死んだ子を背負って助けを…」移民、戦争、泥の家!波乱の人生」

として、サッカー選手・闘莉王(トゥーリオ)の祖母の田中照子さんが出演します。

ブラジルで暮らす田中照子さん。

なんと5歳からブラジルに住んでいました。

移住してからの、田中照子さんの涙なしでは語れない波乱の人生とは?

そして、闘莉王が日本にきたのは16歳。

闘莉王の祖父母に対する想いや、日本に対する想いが感じられました。

今回は、そんな闘莉王と家族、祖母・田中照子さんについてあれこれ調べてみましたよ!

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田中マルクス闘莉王のプロフや家族は?

元日本代表

現在、37歳の闘莉王は京都サンガFCに所属しています。

出身はブラジル・サンパウロ州

日系3世

身長・185cm

体重・85kg

父は、日系2世で母親はイタリア系ブラジル人

祖父は、広島出身で祖母は富山出身です。

2人とも、5,6歳のころにブラジルに移住しています。

パウメイラ・ド・オエスチは、ブラジル最大の都市・サンパウロの北西約650キロに位置する人口1万人ほどの小さな町だ。農産物を運ぶ馬車が時折道路に姿を見せ、馬の蹄がポコポコと音を立てるのどかな環境で、サムライ・ブルーの背番号4は生まれ育った。

闘莉王の父親、隆二はかつて高校教師だったが、現在は弁護士事務所を開業している。

引用:https://number.bunshun.jp

千葉県の渋谷幕張高校サッカー部監督のに見いだされ、留学生として日本にやってきました。

闘莉王の苦労と祖父母への想い

最初に日本にきた16歳の闘莉王の苦労はとにかく日本語がわからないということだったそうです。

かばん一つで乗った飛行機の客室乗務員が日本語で話しかけてくることにも、毛布をかぶってかくれたほどです。

でも、そこからとてつもない努力をして日本代表まで上り詰めました。

おじいちゃんとおばあちゃんのような移民の苦労に比べたら、僕が経験した苦労なんて、本当にちょっとしたことだったと感じます。

ブラジルに来て、言葉も文化も違う国でいろんな苦労をして、それを乗り越えて成功したおじいちゃんおばあちゃんの例をものすごく間近で見てこられたということが、僕の力になっていると思います。

おじいちゃんとおばあちゃんがブラジルで家族を作って、ブラジルに根を張って生きてきたことを僕も誇りに思うし、毎回ブラジルに帰ると、逞しい姿をいまでも見せてくれるので、僕もさらにがんばろうっていう気持ちにさせられる。おじいちゃんおばあちゃんの存在は僕にとって、非常にいいお手本、いいモチベーションになってくれているんじゃないかな。

引用:https://www.jica.go.jp

さらに、高校の全国大会で優勝した闘莉王には、たくさんのチームから入団の誘いがあったそうなんですが、選んだチームはサンフレッチェ広島。

もちろん選んだ理由は、

「祖父が生まれた場所のチームだったから」

(しかも闘莉王はデビュー戦で得点を入れています!!)

そんなことから、闘莉王は、祖父母を尊敬し、ルーツである日本を大切にしてくれていることがわかりますよね( *´艸`)

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闘莉王の祖母・田中照子の波乱の人生とは?

画像:http://saopauloshimbun.com

5歳のころ日本からブラジルに渡ったという照子さんですが、そのころのブラジル移民について調べてみました。

田中照子さんが、5歳のころのブラジルでは、日本人移民着々と増え続けて色んな事業で成功していました。

しかし、移民に対する差別や妬みなどがあったり、日中戦争などでの日本の外国への侵攻もあって日本人移民に対して現地の人から締め出そうとする感情が高まったりしていたそうです。

その後、大統領が変わったことから移民に対して、ブラジル同化政策が行われ、外国語の授業が受けれなくなったのと、日本人学校の廃止などもありました。

それが、大げさに広まり、路上で母国語を話した移民が逮捕されたりもしたらしいのです。

その後、第二次世界大戦が勃発します。

最初は中立の立場だったブラジルもアメリカからの圧力で、ドイツとイタリアに宣戦布告したんですが、日本に対しては終戦間際になってからだったり、少し違う対応が取られていたんでしょうか?

アメリカでは、、日本人の強制収容など行われていたそうですが、ブラジルではそこまでの迫害は行われなかったそうです。

祖母の田中照子さんはブラジルで、そういう時代に暮らしていたんですね。

「この祖母に育てられたのなら、この子は間違いなく成功する」

「あのお祖母さんを見て、育ってきた家庭環境がすぐ分かった」

300人の留学生候補から、闘莉王を選んだ渋谷幕張高校サッカー部の監督が言った言葉です。

孫が日本の教育を受けられるなんて本当に夢のようだと照子さんは涙したそうですよ。

日本語もわからない闘莉王が今、大和魂をもって日の丸を背負って戦っているのは、間違いなく祖父や、照子さんの存在があったからです。

幼少期から、母国を離れブラジルでの生活は大変なことの連続だったはずです。

それでも、生き抜いて家族を守って、闘莉王も生まれてこれたんですもんね!

闘莉王にも礼儀正しく真面目な日本人のいいところがしっかり受け継がれているんでしょう!

【箱石シツイ】101歳理容師!店の場所や家族・長生きと健康の秘密を調べました。

最後に

闘莉王と、その祖母田中照子さんについて調べてみました!

言葉では説明できないような経験をされてきたと思います。

日本にもなかなか帰れなかったそうなので、今こうして孫が日本で活躍してくれているのはすごくうれしいでしょうね!

むか~し、旅行先で会ったんですが、美女を数人連れていたので「うわ~闘莉王ったら遊び人!」って思っていたんですが、今回色々調べてみて、闘莉王ってすごくいい人だな~と思いました( *´艸`)(単純)

現在90歳の田中照子さん、これからも元気でいてくださいね!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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