佐藤明子とサンが住むあかつきの村の場所や生活の暗黙のルールとは?創立者の石川神父とは?(ETV特集)




日本がインドシナ難民を受け入れるようになってから40年になるそうです。

今回のETV特集では、そんな難民を受け入れる「あかつきの村」が紹介されます。

ベトナム難民のサン君とともに暮らすのは佐藤明子さんです。

あかつきの村での生活とはどんなものでしょうか?

佐藤明子さんについてやサン君と生活するあかつきの村、その村の創立者である石川神父についても調べてみました!

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佐藤明子とサン君について

佐藤明子さんは長崎県の五島列島でしょうか?離島でうまれました。

日本がバブル期に沸く頃、証券会社の営業としてバリバリ働いていた経歴があります。

そのころに色々な経験からカトリックに出会い修道女になることを決めたそうです。

3年間の修道院での研修の実習先であったのがあかつきの村でした。

重度の精神障害を持つベトナム難民のサンさんとであったことがきっかけで、あかつきの村に住みこむようになりました。

あかつきの村は現在、【社会福祉法人 フランシスコの町 あかつきの村】となっており、佐藤明子さんは職員として働いています。

サン君について

あかつきの村で一番重度の精神障害を抱えているサンは、10代の時に1人でベトナムから来ました。

現在は50歳くらいだと思われます。

日本に来てからは一度だけベトナムに帰国しましたが家族には受け入れられなかったそうでそれ以来あかつきの村で暮らしています。

佐藤明子さんが初めてサンと出会ったときはとてもひどい状態だったそうです。

ベトナムで大変な体験をしてきたんでしょうね。

怯えていて人を近づけなかったそうです。

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あかつきの村とは?

あかつきの村は、1979年、カトリック神父石川能也さんが開村しました。

「社会福祉法人 フランシスコの町 あかつきの村」となり福祉施設の運営も行っています。

1982年日本はインドシナ難民の受け入れを開始しています。

受け入れ開始以降、一時はアフガニスタンなど様々な国から逃れてきた難民の受け入れも行ってきました。

日本が受け入れたインドシナ難民の約8割がベトナム出身で、あかつきの村で受け入れたのはベトナム人難民だけです。

あかつきの村でのルールは、暴力禁止、食事は皆で一緒に食べることだそうです。

入居者たちの共通言語は日本語なんですが、職員は一緒に暮らしていますので一緒に生活していくうちに日本語も話せるようになっていくんですね。

生活している人の過去は聞かないことが暗黙のルールだということです。

年表 「あかつきの村」のあゆみ
1978.09.30 宗教法人カトリック浦和教区より土地を借りる
1978.12.27 数人の仲間たちと一緒に開墾をはじめる
1979.10.01 建物第 1 号が完成し長江司教により祝別される 開村の日
1981.10.01 大勢の人々の協力で丸太づくりの聖堂( ※ ) が完成し島本司教により祝別される ※水・金曜日午後 4 時 30 分よりミサがあります。
1982.09.01 ベトナム難民定住センター完成
1995.04.01 社会福祉法人フランシスコの町と合併
1995.04.01 精神障がい者小規模作業所開設
1997.09.10 精神障がい者グループホームあかつき荘開設
1998.06.01 現リサイクルバザー会場完成
1999.04.01 難民定住センター閉鎖
2007.04.01 小規模作業所が地域活動支援センターに移行
2012.08.14 創始者石川能也神父帰天 ( 享年 75 歳 )

引用:http://akatsuki.christian.jp

カトリック神父石川能也とは?

石川能也さんはカトリックの神父であかつきの村を開拓した人です。

石川神父の呼びかけがなければあかつきの村はできませんでした。

2007年に石川能也神父は病気が原因でお亡くなりになっています。

あかつきの村の場所は?

名称 社会福祉法人 フランシスコの町 あかつきの村
住所 〒379-2104 群馬県前橋市西大室町448-3
連絡先 Tel:027-285-4449 Fax:027-285-4997
電子メール E-mail:akatsuki@blue.ocn.ne.jp

あかつきの村では募金も受け付けています。

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佐藤明子とサンのあかつきの村での生活は?次のページへ!



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コメント

  1. あべ より:

    こんなサイトをみつけました。
    岡田武夫大司教説教
    2014年11月29日 あかつきの村 待降節第一主日
    ヨハネ・バプチスタ・ド・ラサール石川神父追悼ミサ・納骨式

     第一朗読 イザヤ63・16b-17,19b、64・2b-7
     第二朗読 一コリント1・3-9
     福音朗読 マルコ13・33-37

    待降節に入り、主日の朗読箇所はB年となりました。今日から福音朗読はマルコとなります。

    今日の福音のキーワーズは「目を覚ましていなさい」という主イエスの言葉です。待降節は主の降誕を待ち望むことですが、同時にわたしたちが決定的な主の訪れを待ち望むときでもあります。主の訪れを待ち望むとは、主キリストの再臨を待ち望むという意味であり、またわたしたち自身の地上の最後の時=死のときを待ち望む、ということでもあります。

    わたしたちは誰しも自分の生涯の最後のときを迎えます。そのときに向かってわたしたちは歩んでいます。問題はそのときに向かってどう歩むのか、ということです。

    わたしは、まずそれは「信仰と希望のうちに生きる」ということだと思います。石川神父さんは信仰者として、また司祭として、信仰と希望のうちに生涯を歩みました。神父さんが司祭に叙階されたときは1969年、ちょうど第二ヴァチカン公会議による刷新が行われていたときでした。刷新は同時に危機と試練のときでした。教会は激動のときを迎え何人かの司祭が司祭職を離れました。各自の信仰自体が問われたときです。

    石川神父さんは、聖霊は教会の中だけでなく外でも働いている、と信じていたと思います。日本の社会で福音の教えに基づいた共同体を建設しようとしました。それはある意味で「地上の理想郷」ユートピアの建設の試みでありました。それが「あかつきの村」であったと思います。「あかつきの村」は、主イエスの教えに従って、社会の中の貧しい人々、病気の人、避難民、寄る辺のない孤独な人たちのための避難所でありました。いわば現代の救護所(hospitium)*であったと思います。それは、王であるキリストの主日の福音の実行でした。

    石川神父さんが実行した生き方はキリストの教えの実行です。
    「飢えている人に食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねる」(マタイ25・35-36)という愛の行いでありました。ヴェトナム難民を受けいれ、精神の問題に悩む人の安らぎの場所を提供し、競争社会から脱落して人に生きる場所を用意しました。

    教皇フランシスコは使徒的勧告『福音の喜び』で現代の消費主義を弾劾しています。大量の物資が無駄に消費されゴミになっています。他方、何億もの人が飢えに苦しんでいます。この社会の矛盾は一向おさまらない状況にあります。石川神父さんは「あかつきの村」を始めて、この現代消費社会の悪の構造へのささやかな挑戦を行いました。それは具体的にはリサイクルの仕事でした。現代人が大量消費社会の中で物資をおしげもなく廃棄しているなか、物に支配されない生き方、物を大切にする生き方を人々に示したと思います。それはキリストの清貧の精神の実行でした。

    日本カトリック司教協議会は東日本大震災に際して、「今すぐに原発の廃止を」というメッセージを発表して訴えて言いました。

    「わたしたちキリスト者には、何よりも神から求められる生き方、つまり『単純質素な生活、祈りの精神、すべての人々に対する愛、とくに小さく貧しい人々への愛、従順、謙遜、離脱、自己犠牲』(2)などによって、福音の真正なあかしを立てる務めがあります。わたしたちは、たとえば節電に努める場合も、この福音的精神に基づく単純質素な生活様式を選び直すべきです。(3)またその精神を基にした科学技術の発展、進歩を望みます。それが原発のない安心で安全な生活につながるでしょう。」(2011年11月8日、カトリック中央協議会ホームページ参照)

    メッセージ中には福者教皇パウロ6世の使徒的勧告『福音宣教』が引用されています。
    「福音の精神に基づいた単純質素な生活」こそ私たちの目指すべきキリスト者の生活であり、石川神父さんは、その生き方を先取りしたと思います。

    *hospitiumはキリストの愛を実行する施設で教会に起源を持つ。後に、病院hosptal、ホテルhotelがそこから分化し独立した、と考えられる。