消えた天才に登場する田端良基(たばたよしき)さんがドラフト指名されずプロ野球どころか野球界から消えた理由を調べてみましょう!
田端良基さんは、あの大谷翔平から甲子園でホームランを放った経歴を持つ元・大阪桐蔭4番で大活躍していた選手です。
プロで活躍すること間違いない!とまでおもわれていたのにも関わらずドラフトでは意外な結末が・・・
プロにならなかった理由はなんだったのでしょうか?
学生時代からサポートしてきた両親(父親、母親)弟の家族にとっても、プロにならなかったことは意外だったかもしれませんね!
現在は、バーとオーダースーツ事業で成功されているようです。
大阪桐蔭高校で元、チームメイトの藤浪晋太郎選手とは現在も変わらず仲良くされているようですよ!
ではさっそく消えた天才・田端良基についてあれこれ調べてみましょう!
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目次
田端良基の野球人生の経歴は?
↑大阪桐蔭で1年生の時から活躍していました!
田端良基さんが野球を始めたのは小学生で2年生からだということです。
地元和歌山の少年野球チームである【雑賀少年野球クラブ】にはいります。
このチーム創立60年くらいになるチームで2009年には初めて全国大会にも出場していますので、徐々に強豪チームといわれるようになるでしょう!
中学校は、西浜中学校に入学しますが部活ではなく地元の【和歌山シニア】に入団していますね。
私の知り合いで大阪桐蔭の野球のママがいるんですが、中学で部活に入るよりクラブチームに入ったほうが高校の監督やコーチから目を付けてもらえるといっていました。
実際に、中学生時代から毎週和歌山まで練習に参加し、その結果大阪桐蔭高校に入学しています。
田端良基さんも中学時代からかなり期待されていた選手で4番でピッチャーでした。
高校野球で活躍している選手のほとんどがクラブチーム時代から名が知られていることが多いですね!
大阪桐蔭は、名門中の名門で根尾選手など、今年話題になりました!
その大阪桐蔭高校でも頭角を現し、4番という偉大な背番号をしょって甲子園に挑みます。
大谷翔平選手は花巻東の怪物ピッチャーでしたが、しっかりと球を見極めホームランを放ちましたね!
春と夏の選抜で打率.429という数字はものすごい記録です!
田端良基の家族(父親・母親・弟)は?
田端良基さんの家族構成は、父親・母親・弟の4人家族だと思われます。
高校野球で活躍する選手を育てるのはかなりの経済力と根性が必要です。
子供のためにどこまでできるか、で生き残れるかがわかれるほど親が重要な役割を果たしているんです。
特に甲子園出場常連校ともなれば、部員数も多く全国から集まった精鋭たちですからベンチ入りすることさえも難しい子供もいるんですよね!
寮で生活するためのお金や仕送りに加え、甲子園出場に伴うお金や遠征費、食費などかなりの出費があると思われます。
母親が献身的にフォローすることと、父親の経済力も重要でしょうね!
ドラフトでシングルマザーに育てられた選手の特集も、それだけ大変で苦労が多いからでしょう。
田端良基さんの弟の、拓海さんも野球選手で甲子園出場をしていますからね!
大阪桐蔭で4番で活躍していた息子がプロにならないとはもしかしたら思ってもみなかったことかもしれません。
しかし、田端良基さんはプロにはいきませんでした。
さらに、大学進学もせず野球からは遠ざかってしまします。
田端良基の現在は?
画像:https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201604190008-spnavi
田端良基さんはドラフトでは指名されず、亜細亜大の推薦で入学する予定でしたが、練習に合流したのちすぐに退部・大学入学も見送ります。
3年ほどたち日本ウェルネス大学北九州(社会人チーム登録)に加入しました。
それまでの間、水道関連の仕事を半年、鉄工所の仕事を1年半やっていました。
正社員として月収30万円はあったそうでとくに不満もなかったそうですが、やはり今までずっと野球と真剣に向き合ってきたひとですからモヤモヤした気持ちは残っていたようです。
会社を辞めて社会人チームで3カ月間練習したが採用されず、プロ待ち次第でしたがそこでも結果は採用なしでした。
弟の拓海さんが大阪偕星学園高で甲子園出場して応援しに行った時、色々な気持ちがまたメラメラとわいていた時に、日本ウェルネス大学北九州の北村潤一監督に声をかけられて大学野球で復活しました。
現在は、野球から離れ大阪でバーとオーダースーツ事業で成功されているようです。
年商1億円と、さらに成長していきそうですね!
日本ウェルネス大学北九州の北村潤一監督も言っていましたが、田端良基さんは人徳があり、偉そうにしないし、とてもいい人なんですって( *´艸`)
それが、今のバーやオーダースーツ事業でも大きく関係していそうですよね!
野球選手のコツコツと努力するところや、仲間意識が強いこと、根性!なところがいかされていますね!
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田端良基がドラフトで指名されなかったのはプロ希望出さなかったから!理由は?
それにしても、そんな素晴らしい野球能力のある田端良基さんはなぜプロにならなかったんでしょうか?
ドラフトで指名されなかった???と思っていましたが、指名されないも何も、
プロ希望を出していない!!!
2012年の日本高等学校野球連盟のプロ野球志望届の選手一覧には、田端良基さんの名前はありませんでした。
ヤフー知恵袋では、東京六大学の立教大に進学する予定と聞いているとの記載もあり、大学で野球をするつもりでうたんでしょうか?
実際には高校で引退したのち、プロでやっていくほどの気持ちが無くなってしまったからかプロ志望届も出さず、さらには亜細亜大でやっていく気持ちにもなれなかったのか野球自体から身を引いてしまいました。
「キツいから辞めたとかではなく、高校卒業してプロに入るという目標がなくなり、もう野球はええやと思ってしまったんです」
引用:https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201604190008-spnavi?p=1
と話していますが、この言葉だけを聞くと高校卒業してからプロになりたかったようにも聞こえます。
自分の人生を色々考え、迷っていたんでしょうか?
燃え尽き症候群のような感じでもあった可能性がありますね!
田端良基と藤浪晋太郎との関係は?
藤浪晋太郎は現在、阪神タイガースで活躍していますね!
小学校卒業時に180.2cm, 中学校卒業時で194cmの身長があったという日本人離れした恵まれた体型と野球センスで幼少期から活躍していました。
大阪桐蔭で田端良基さんとはチームメイトになり甲子園でともに大活躍しています。
現在もその親交は続いているようで、2人で誕生日会うをするなど仲の良い様子がうかがえます。
プロ野球選手にならなかった田端良基さんがそこに何かモヤモヤしているものがあれば、第一線で活躍する藤浪晋太郎選手とも疎遠になる可能性がありましたが、そんな風にはならずお互いをリスペクトしながら親しくしています。
田端良基さんのオーダースーツ事業の成功の陰には多くのプロ野球選手がいると思いますし、バーにもたくさん選手は訪れているようです。
その関係が築けるのも田端良基さんの人徳でしょうね!
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最後に
田端良基さんのことについて調べてみました!
プロでも大活躍間違いなしだった田端良基さんがドラフトに選ばれなかった理由は、そもそもプロ希望を出していなかったからでした!
その理由は、もしかしたら【消えた天才】の放送でわかるかもしれませんね。
現在は、野球をやめてから何かモヤモヤした気持ちはないそうです。
それがバーの仕事や、オーダースーツ事業と出会ったからだといいます。
プロ野球選手になりませんんでしたが、今の仕事を心から楽しんでやっている田端良基さんに両親もホッとしているんではないでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
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