丹波幹雄(たんばみきお)は、
丹波慎也の兄という肩書で紹介されることが多いので丹波幹雄本人について調べてみましょう。
今回の消えた天才に、松坂大輔超えの天才投手として丹波慎也が紹介されます。
1学年下の上地雄輔は、慎也に憧れて横浜高校に入学したんですって。
横浜高校でかなりの活躍をしていた丹波慎也がいきなり亡くなりました。
死因は、急性心不全だったということです。
もし生きていたら、松坂より先にピックアップされていただろうと言われる選手の突然の死はチームメイトにとっても、もちろん家族(両親・兄)にとっても受け入れられない事実だったでしょう。
そんな突然の弟の死を経験した、丹波幹雄はどうやって乗り越えたんでしょうか?
プロフィールや経歴、現在の仕事や年収、家族(妻・子)について調べてみました。
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丹波幹雄のプロフィールは?
画像:http://www2.tokai.or.jp/BBF-Ys/camp-present.htm
名前:丹波幹雄(たんばみきお)
出身地 :神奈川県横浜市
生年月日: 1974年9月30日
現年齢:44歳
身長:193 cm
体重 :94 kg
家族は、父親と母親と亡くなった弟の慎也の4人家族?
横浜高校では、1年生から投手としてベンチ入りするほどの実力でしたが肘を痛めてしまい、2年生で退部しています。
横浜高校に弟の慎也が入学したのも兄の存在は大きく影響していたと思います。
予想では、小学校からその差は出ていたんじゃないかと思います。
弟の方がうまい。兄は感じていたかもしれませんが、必死で頑張ったと思います。
でも、弟ってやっぱり兄のことを尊敬してたり目指していたりするんですよね!
丹波慎也が亡くなる前、2人はキャッチボールをしたんだそうです。
キャッチボールをしていたときに
「兄貴!また野球やろうよ。まだ出来るよ!」
そう、兄のことを応援した慎也さんは亡くなり、数年後幹也さんはヤクルトにドラフトで8位指名されます。
肘を痛めて、退部までした幹雄さんがプロ野球選手になるんですから、それもすごいことですよね。
弟への気持ちがそうさせたんだと思います。
実際にプロになるまで弟の形見であるグローブを使ってクラブチームで毎日練習していました。
慎也さんを感じながら野球をしていたのは、兄だけでありません。
横浜高校のチームメイトも試合のたび、丹波慎也を感じながら戦っていたそうです。
弟・丹波慎也とは?
逸材と言われた男庭信也についてみていきましょう。
丹波慎也は横浜高校の絶対的エースでした。
横浜高校といえば野球の名門校ですよね。
松坂投手や筒香選手や現役で今も活躍している選手を多く輩出している高校ですね。
当時、横浜高校の指導者も松坂や筒香よりも断然、丹波慎也がうまかったと話しています。
丹波幹雄の経歴やヤクルト時代の成績は?
丹波慎也が亡くなって、その意志を継いで野球を続けた幹雄さんは、社会人野球のクラブチームであるWIEN BASEBALL CLUBに入って野球を再開しました。
1998年のドラフト会議でヤクルトスワローズに8位指名され入団しますが、クラブチームに所属する選手が指名されるのは6年ぶりだったということで大抜擢だったといえるでしょう。
やはり、古傷の肘が影響したのか一軍での登板はできなかったそうで残念ながら2002年に戦力外通告を受け退団しています。
もっと活躍して、慎也さんに報告したかったとは思いますが、その有志はきっと天国にいる慎也さんも満足だったんではないでしょうか!
丹波幹雄の現在の仕事は?
横浜市交通局に就職していたという情報がありますね。
現在は退社し、神奈川県内に住んでいるんでしょうか?
市内の企業に勤務しているそうです。
幼少期から野球で培ってきた努力と根性が、今仕事で役立っているんでしょうか?
噂では、バス会社で働いているという情報もありますね!
体格がよく大柄な幹雄さんには大きいバスでも窮屈そうです( *´艸`)
丹波幹雄は家族(妻・子)がいる?
丹波幹雄さんが現在結婚してお嫁さんや、子供がいるかという情報は見つけれませんでしたが、番組出演のツイッターの写真には薬指の指輪は確認できませんでした。
まぁたまたまその時だけかもしれないし、結婚してても指輪を付けない人もいるので真相はわかりませんが、今回の放送でわかるかもしれませんね!
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丹波幹雄の年収は?プロ野球選手との比較!は次のページへ