SWITCHインタビュー 達人達(たち)
今回は、
「林家たい平×丹道夫」
落語家と、経営者の二人は何を語るのでしょうか?
私は、そば屋の経営者である丹道夫の過去や今現在の仕事で大きな成功をおさめている秘密を検証したいと思います。
丹 という名前のルーツである親についても調べていったら、丹道夫の悲しい過去がありました。
親に関わる悲しい過去とは?
ブラック企業が多いと言われる飲食業界で「ホワイト企業」と評価の高いダイタンフード
その成功には人情が関わっていました。
人を大切にする、丹道夫のあれこれ調べてみました!
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丹道夫のプロフや経歴
画像:https://www.bizcompass.jp
丹 道夫(たん みちお)
生年月日は1935年12月15日
現在83歳ですが本当にお若くみえますよね!普段からシャキッとされてるんだろうな~
生まれは愛知県名古屋市ですが、すぐに愛媛県西条市に引っ越しています。
母親の実家があるところです。
出身校は、
・大保木国民学校
・村立大保木中学校入学(新居郡大保木村は現・西条市)
・愛媛県立西条南高校農業科(半年で中退)
・東京栄養食糧専門学校
父親は亡くなっていて記憶にはないそうなんですが、手広く事業をしていた人だったんですって!
自分の商売人の血は、父親譲りかなっと話しています。
丹道夫は、
「名代富士そば」の創業者です!
今現在は、息子が社長になっていて、丹道夫さんは会長になっています。
演歌が好きなんですが、「演歌好きは人の痛みがわかる人」と話しています。
名代富士そばでも流れているBGMは演歌なんですね!
丹道夫も、演歌歌手としてデビューされていますよ!
丹まさと という名前でCD・カセットも発売されているようで、店舗でも取り扱っているんだとか。
丹道夫の悲しい過去とは?
丹道夫の過去を調べていくと、実は生まれてすぐから悲しいことが起きています。
1935年の12月、丹道夫の生後間もなく、父親が亡くなったそうです。
このことがきっかけで、波乱万丈の人生が始まったそうですよ。
父親が亡くなって、母親は実家のある愛媛県西条市に引っ越して、幼い丹道夫を育てるために芸者になったんです。
その時のお客さんだったんでしょうか?
こちらも経営者の丹高助という男と再婚します。
お母さんは、息子にはしっかりとした教育をさせたいと思っていたので、お金のために結婚をきめたのかもしれませんね。
確かに、この再婚相手も事業をあれこれやっていたようで裕福な生活をしていたことは間違いんですが、母親と再婚相手に子供ができてしまうんです。
もう母親も40歳過ぎ、義父は60歳近かったそうです。
このことから、徐々に義父の丹道夫に対する態度が変わっていきました。
自分の血の入った子供の方が可愛いってやつですね。。
辛い仕打ちを受けるわが子をみて、母親は何を感じていたんでしょう?
最初に描いた想像とは違っていたかもしれません。。
そんな苦しい生活が、東京に行きたい!成功したい!と思うきっかけになったそうです。
逃げるように東京に行った丹道夫ですが、何もできない自分に途方にくれます。
母親の男なら勉強しなさい!という言葉を思いだし、夜間の高校に入学。
卒業後、印刷会社に勤務したんですが病気になってしまって愛媛に戻ります。
落ち着いたら、また東京に戻って勉強して料理学校の先生になりました。
義父が亡くなり、また愛媛へ。。
何度も、引き戻されながらも諦めれない人なんですね!
4度目の正直、母親を連れて東京でまた新しい生活を始めます。
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丹道夫の富士そば成功の秘密
24時間営業が珍しい時代(コンビニより早い!!)に始めた富士そばは、29年前にはすでに1日5万食出るというものすごい会社です!
その成功の秘密は人情にあるといいます。
「アルバイト従業員にボーナスを年2回、退職金も支払う」
これは、富士そばの有名な話!
富士そばではこんな制度を40年以上前から導入している。時給は業界水準並みだが、勤続年数などによってボーナスは最高10万円、退職金も20万円まで支給する方針だ。
社員はほとんどがアルバイト出身。ただし、上に行けるチャンスは全員に転がっている。
優秀な人材であれば、店長、係長の次は一気に常務に昇格し、事業会社のトップとして複数店舗の責任者になれるのだ。
制度を導入したのは1970年代。常務になれば月給55万円、ほかに報奨金も付けるという、当時としては破格の待遇だった。
引用:http://net.keizaikai.co.jp
お金を出さないと人が安定せず経営が不安定になるなら、そこはしっかり払って人が安定したほうがいい という考え。
仕事を評価されればボーナスがもらえて、長く働く人が増える、長期で働いてもらえばベテランも増えるし仕事の質も上がる。
Win Win ですね!
「僕は人を使うのが下手だし、うるさく言われると人は付いてこないと知っている。みんな自分で責任持ってやっているから、店では店長が一番偉いと思って接しています。人間は、優しく使ってあげたほうがいいという信念があるんです」
引用:http://net.keizaikai.co.jp
お金だけの成功じゃないのが丹道夫のすごさなんじゃないでしょうか?
幼少期からの大変な経験が、今のベースになっているんでしょうか。
苦労知らずは人の痛みがわからない。
そんなことは話せばわかるといいます。
結局、お客さんは人で、人が接客する。
人間力が必要なんですね。
その人を見る目も丹道夫はあって、働く人の気持ちや待遇を考えれるから飲食業でも「ホワイト企業」と評価されるんでしょうね!
最後に
名代富士そばの会長、丹道夫の過去の苦労や、今現在の成功の秘密を検証してみました!
この人に直接会ったら、なにも強い威力みたいな圧は感じないんだろうなぁと思いました。
でも、すべてを見透かされている気がしそうです笑
幼少期から本当に苦労続きの丹道夫だからこそ、わかることがあるんですね!
演歌に人情、本当に一貫した考えがあることを感じます。
富士そばは、早い安いだけじゃなく美味しさにもこだわって、注文を受けてから茹で始めるそうですね!
130店近い店舗数を誇っている名代富士そば。
これからも、世界も含めて大きく成長していくんでしょうね!
私は食べたことがなかったので、ぜひ一度食べてみたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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