キャサリン・スウィッツァーの経歴や現在の活動や結婚(夫・子供)は?(世界まる見え!テレビ特捜部)




性別を隠し、ボストンマラソンに男性と一緒に初めて参加した女性として高橋尚子も感謝する女性がいます。

キャサリン・スウィッツァー

世界まる見えテレビ特捜部に特集されます。

ボストンマラソンは今では男女とも参加できるマラソン大会ですが昔は女性は参加もできませんでした。

キャサリン・スウィッツァーは自分の性別を隠してボストンマラソンに参加し、走行中に妨害を受けたことで有名になりました。

今現在は、マラソンだけじゃなく女性支援に力をいれて活動しています。

この、キャサリン・スウィッツァーは現在71歳ながらとても美しいことにもびっくりしました。

今回は、キャサリン・スウィッツァーのプロフィールや経歴、結婚して夫や子供がいるんでしょうか?

合わせてボストンマラソンについても調べてみようと思います。

それではさっそく!

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キャサリン・スウィッツァーのプロフィール

画像:Wikipedia

名前:キャサリン・スウィッツァー(Kathrine Virginia “Kathy” Switzer)

シュワイツァーと表記されることもあります。

国籍: アメリカ

最終学歴: シラキュース大学

生年月日: 1947年1月5日(71歳)

出身地 :ドイツ

キャサリン・スウィッツァーがマラソンにのめりこんだのは、大学生だったころのようです。

シラキュース大学に進学していたキャサリン・スウィッツァーは、クロスカントリーチームで長距離走のトレーニングを積んでいました。

キャサリン・スウィッツァーの経歴

1967年、当時はまだボストンマラソンは女性の参加は認められていませんでした。

ボストンマラソンの主催者に性別を悟られないように参加したキャサリン・スウィッツァーですが、レース中に結局主催者に見つかってしまします。

しかし、キャサリン・スウィッツァーはその妨害をかわし、さらに協力者の友人が助けてくれて無事に完走しました。

1972年、エイボン・インターナショナル・ウィメンズ・ランニング・サーキットを創設する。

1972年、ボストンマラソンが女性参加者を公認する。

1974年、ニューヨークシティマラソンで優勝する。

1975年、ボストンマラソン2位。

1982年、アタランタスポーツプロモーションを設立し社長に就任する[7]。

1997年、ロサンゼルスマラソンの解説でエミー賞を受賞する。

2011年、アメリカに貢献した女性たちの殿堂National Women’s Hall of Fame(英語版)に選ばれる

2015年、女性支援団体261fearlessを設立する。

2017年、1967年大会と同じ261番のゼッケンを付けてボストンマラソンを完走する

引用:Wikipedia

女性がボストン・マラソンに参加できるよう働きかけるキャンペーンを 1972年まで続けたことで、1984年に五輪で女子マラソンが正式種目となる道筋を作りました。

キャサリン・スウィッツァーがいなくても時間は時代が移行していくとは思いますが時間がかかったでしょうね!

高橋尚子が感謝をするのは、もしかしたら女性がマラソンを走るのが認められていなかったら高橋尚子がメダルを獲ることがなかったかもしれないからですね!

やはり変化を求めるなら行動しないといけませんね!

ボストンマラソンの歴史や開催日は?

ボストンマラソンが始まったのは、1897年でアメリカ独立戦争が開戦した4月19日を「愛国者の日」とし、それを記念して開催されました。

現在も例年4月の第三月曜日の愛国者の日に開催されています。

参加資格もありますね。

資格タイムを満たしていることが条件で「選ばれしもののマラソン」といわれています。

日ごろからトレーニングしている一般ランナーもこのマラソンに参加するのは一つの高い目標となるレースですね!

完走者の平均タイムの大半が4時間未満でゴールするということで、マラソン大会の中でもスピード重視なレース展開が楽しめます。

キャサリン・スウィッツァーのボストンマラソンでうけた妨害とは?

画像:https://deskgram.net

キャサリン・スウィッツァーが初めて完走した女性になりましたが、その時代は女性が長距離を走るなんてできないとみなされていたそうです。

そのためか、女性蔑視の差別があり公式に参加することはできなかったそうです。

キャサリン・スウィッツァーが受けた妨害は、スタートして3.2kmほど走った頃、大会責任者のジョック・センプルがランナーの中に女性がいると知って、キャサリンを追いかけました。

肩をつかんでゼッケンを取ろうと妨害します。

ジョック・センプルはキャサリンに向かって「俺たちのレースから出ていけ」叫びました。

結局、つかんだ手を振りほどき、友人がジョック・センプルを転ばして逃げて完走しました。

男性ランナーたちは「僕の妻にも走ってほしいよ」、「頑張れ」と好意的だったが、見物していた男性たちは違った。「さっさと家に帰って夫に夕飯を作れ!」、「走ると足が太い男になって、子供が産めなくなるぞ」。当時は20歳のシラキュース大学生で、罵声の中を走るのは怖かった。

引用:http://college.nikkei.co.jp/article/104390513.html

ちなみに、実はキャサリン・スウィッツァーが完走したボストンマラソンで1年前、同じく女性で完走している人がいます。

ボビー・ギブという女性ですが、妨害は受けなかったそうです。

なぜなら、登録をしておらず気づかれなかったからだといいます。

もし、その時ボビー・ギブが登録し、妨害を受けていたらキャサリンと同じ行動を起こしたかはわかりません。

やっぱりキャサリン・スウィッツァーだったから今があるんでしょうね!

キャサリン・スウィッツァーと妨害した主催者のジョック・センプルは後に和解して、それ以降は女性のマラソン参加に協力する関係まで築いています。

理解してくれたジョック・センプルにも感謝です!

キャサリン・スウィッツァーの活動は?

女子マラソン普及に尽力していたキャサリン・スウィッツァーは1997年、解説者としてエミー賞を受賞しています。

エミー賞は、テレビ関連の素晴らしい業績に与えられる賞です。

女性に対する蔑視や差別をなくすために活動しているキャサリン・スウィッツァーですが、高齢者に対する活動も精力的に行っているようです。

「人々はお年寄りに対して、当時女性に告げていたようなことを言っています。

『がんばるな、体力が弱すぎるんだから、体を壊すかもしれない、だから挑戦するな』と。

でも私は年齢に限界はないと思っています。

年齢に対する偏見との戦いは、私にとっての新たなフロンティアだと思っています」

引用:https://switch-news.com

2017年(平成29年)70歳になったシュワイツァーさんは50年ぶりにボストンマラソンに出場したそうです。

当時のタイムにはわずかに届かず4時間44分31秒だったが、見事に完走を果たしたというからすごいですよね!

ボストンマラソンは、参加するのにまず資格タイムのクリアが条件ですから参加したこともすごいです!

差別に苦しむ女性たちに「走って強くなろう」と呼びかけて今も現役でマラソンを楽しんでいます。

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