カールラガーフェルドが2月19日にパリで亡くりました。
結婚して妻(嫁)や子供はいたのでしょうか?ファッション界で70年のキャリアを積んだラガーフェルドの功績は素晴らしいものでした。年収や資産もすごいはずですね!年齢も年齢でしたが、死因は病気だったんでしょうか?
ラガーフェルドというえば、やはりシャネルでしょう!!!
シャネルをハイブランドとして押し上げたのは間違いなくラガーフェルドと言われていますね。
今回のラガーフェルドの死は多くのファッション業界人や、セレブ、ファッション通だけじゃなくシャネルというブランドに憧れた人たちにも大きな衝撃だったでしょう。
改めて、カールラガーフェルドについて調べてみようと思います。
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目次
カールラガーフェルドが死去!死因は病気?
カールラガーフェルドが亡くなったと報道がありました。
1月のオートクチュールを欠席していたとの情報もありますので体調不良があったことは確かなようです。
詳細はまだ発表されていませんので、また公表されることがわりましたら追記しようと思います。
カールラガーフェルドの年齢やwikiプロフィールや経歴は?
本名:Karl Otto Lagerfeld
生年月日:1933年9月10日
出身地: ドイツ ハンブルク
住居:フランスパリ
国籍 :ドイツ・フランス
カール・ラガーフェルドは、1938年にドイツのハンブルクで生まれました。
亡くなったときの年齢は85歳です。
14歳でパリに移住して、16歳のときにIWS(国際羊毛事務局)主催のコンクールのコート部門で優勝しているんです。
そんな年齢のときからすでに才能が開花していたんですね!
17歳の若さで『ピエール・バルマン』で働き始めたラガーフェルドは、3年後に『ジャン・パトゥ』へ移籍。
『クリツィア』『シャルル・ジョルダン』『ヴァレンティノ』で修業を積みます。
64年ごろになるとオートクチュールの世界に幻滅し、アートを学ぶためイタリアへ渡ります。
フェンディのデザイン・コンサルタントとして、ファッション業界に戻ってきたのは67年。70年代にはクロエのデザインを担当、72年のコレクションでは、白黒のプリントや巧みなバイアスカットを用いて、世界中から喝采を浴びた。
1983年にシャネルのデザイナーに就任、一方で自身のブランド『カール・ラガーフェルド』も立ち上げた。自身のラインでは明るい色を配した気軽なカーディガン・ジャケットにソフトなニットウェアを組み合わせて「知的なセクシーさ」を表現する一方、戦前の『シャネル』と現代のトレンドを融合したデザインで、80年代と90年代に『シャネル』をハイファッションの頂点へと押し上げた。
引用:Wikipedia
女性の好きな人気のブランドばかりを手掛けていますね!!
カールラガーフェルドの両親(父親母親)は?
ファッション業界にはやくからいるカールラガーフェルドですが、両親もファッション業界に精通した人物なんでしょうか?
ラガーフェルドの父親はビジネスマンのオットー・ラガーフェルドという方です。
母親はエリザベス・バーマンという方で、結婚する前は下着のセールスをしていたそうです。
ファッションといえばそこかな?
父オットーは無糖練乳を生産・輸入する会社を所有していたのでファッション業界のビジネスマンではありませんね!
カールラガーフェルドは同性愛?結婚して妻(嫁)や子供はいる?
画像:http://www.afpbb.com/articles/modepress/3072441
ラガーフェルドはあまり恋人の話などはしなかったそうです。
なので結婚や子供は公表されてはいないということになるんでしょうか?
どうやらカールラガーフェルドには彼がいたようですね!
この記事によれば、元カレはジャック・ドゥ・バシェールという男性だそうです。
ラガーフェルドは70〜80年代に18年間彼と交際していたそう。
シャネルのクリエイティブディレクターであるラガーフェルドは、ボーイフレンドが1989年に38歳の若さでエイズによって亡くなるまで忠実だった(彼がイヴ・サンローランと愛人関係にあったのは有名だったにもかかわらず)。ラガーフェルドは、病院のバシェールのベッドの横の折りたたみ式ベッドで寝ていたという。
引用:http://harpersbazaar.jp/celebrity/karl-lagerfeld-jacques-de-bascher-interview-170815
恋愛を楽しみながら、結婚という選択はしなかったみたいですね。
カールラガーフェルドの資産や年収がヤバい!?2ページ目へ
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